しーしー奮闘記! 〜保育園の中心でコミュニティデザインを叫ぶ。〜

こどもを中心としたまちづくり。保育園を、コミュニティのハブにする。こどもが歓迎される社会をつくる。一人ひとりに居場所と役割がある地域をつくる。そんな使命を掲げるブログです。

朝、人と会うというメリット

14日目。

 

今朝は、6時半から、

高いモチベーションを持ち続けている先生と対話。

 

今、自分の中で揉んでいる企画を相談した。

コンセプトとしては、「人生の学びのbar(場とかけている)」

 

保育園の一室を使って、夜7時〜9時、

地域の様々な大人が集まって、飲み食いしながら対話をすると言う企画だ。

 

今日の話で、会の目的が少し形になってきた。

 

①他人の人生を追体験する、自分の知識・経験を再構築(=意味付け)する場。

 それも、単なる成功哲学、サクセスストーリーだけではなく、そこにどんな葛藤・困難があって、選択をして、結果どうなったか。(もしくは、どう進行しているか)

 「今」という点で捉えるのではなく、人生の浮き沈みを味わうことで、それが励みになったり、明日への原動力につながったりと。

 とても人間臭い感じの場だ。

 

②地域の多様性(=ごちゃまぜ)を肌で感じる場。

 保育園という「子どもたちの学びの場」において、大人同士が互いから学ぶ。

 それなり人生を生きていれば、持っている背景・価値観もきっとバラバラで、そんな人たちが集まったときに、どんな化学反応が起きるのか

 世代や職種や性別も関係なく、むしろ「違いを楽しむ」「モヤモヤを味わう」といったことを場の中で大切にしたい。

 望むところは、こうした開かれた場に、教育に携わる人が多く参加してもらいたい。
 (とはいえ、教師ばかりではオモシロくないので、バランスをとりつつ)

 多様性を認めましょう、「みんな違って、みんないい」と言いながらも、実は、教育現場の人間が、実は一番閉鎖的な場所にいるのではないだろうか?

 教育とは、「人づくり」で「社会をつくる仕事」であり、子どもたちの持つ、大いなる可能性や有能性を信じ続けるためには、こうした場を通じて、今までの価値観・思い込みの枠組みを壊し続ける必要がある。

 

③子どもを豊かに、地域を豊かにする場。

 

 保育園で、これをやる意味。

 それは、保育園や学校が、今度、社会に開かれた学びの拠点になるという挑戦である。

 子どもだけでなく、大人だって、学び続ける事で、暮らす地域が豊かになり、
 暮らす地域が豊かになれば、子どもたちにとっての環境も回り回って豊かになる。

 そんな循環を生み出す場を作りたい。

 

勢いで書いたので、多少分かりづらい部分もあるが、こうした目的を整理して、場を作って行きたい。

 

 

朝からこんな暑苦しい話に付き合ってくれるFさんに感謝!!!

今日も一日モチベーション高く仕事に向かいます!!!

 

 

学びのサードプレイス

13日目。

 

思いついた時には、連続で書く。

今回は、学びの場作りについて。

 

やりたいことがある、

それは【学びを、ほぐす場】をつくることである。

 

これまで、学ぶということは、何か新たな知識を獲得することだと思っていた。

しかし、今の仕事を始めてから、多様な価値観を持つ人たちと出会い、話すうちに、この考え方が変化してきた。

 

それは、自分の見ている狭い世界に囚われることなく、自分の持っている価値観の偏りを自覚し、思い込みの枠を外していくことの大切さである。

そして、これこそが、学ぶことではないのかと。

 

少し言い換えると、他者との対話を通して、

今まで自分が得た知識や経験と、そこから形成されている価値観を一旦全てときほぐし、

知識や経験に新たな意味づけを行いなおすことで、これまでの思考の枠組みを外していくこと。

 

この変化こそが、学びなのではないか?

という仮説である。

 

今までの学びをほぐし、再構築する場。

単に知識やノウハウを提供するのではなく、

集まった個人が、自らを一人称で語りながら、経験や知識をストーリー的に語ることで、

他者との違いを感じ、愉しむ。

こんな場を作って行きたい。

 

 

サードプレイスとは、レイオルデンバーグが提唱した概念。第1の場所としての家、第2の場所としての職場、そしてイギリスのパブ、フランスのカフェのようにリラックスした雰囲気の中で対話を行う場を示す。

   サードプレイスの特徴は、【インフォーマルで、ハプリックな営み】を促進する場とされる。

  つまり、他者に強制されず、個人の自由意志に基づいて行動していること。一人で行われるのではなく、他者との関わりの中で行われる活動のこと。

オープンなコミュニケーションとは

12日目。

 

GW真っ盛り。

再び、コミュニケーションについて考えてみる。

参考書は、おなじく、

【ダイアローグ 対話する組織】

  2009年 ダイヤモンド社 中原淳 長岡健 

 

 

 

◎効率的なコミュニケーション

 

◎緊密なコミュニケーション

 

◎オープンなコミュニケーション

 

この違いは何だろうか?

知識をどのように捉えているか、価値観を同一化すべきかどうかで整理できる。

 

まず、効率的なコミュニケーションとは、

知識を伝達可能なものとみなし、一方向に効率的に伝えること。

 

緊密なコミュニケーションとは、

かつての家族的な結びつきをもった企業が、組織に隷属する形で、全社一丸となって行動すること。

 

オープンなコミュニケーションとは、

両者と異なり、単なる情報の伝達ではなく相互理解を重んじ、かつ、組織の結束力よりも個人の主体性の発揮を重んじること。

 

具体的には、

●真剣な話し合いでも、相手を打ち負かす敵対的なムードではなく、友好ムードを保つ

●意見や考え方に優劣はなく、一つ一つの意見や考えかたにユニークさを見出し、尊重する

●意見の相違から目はそらさず、お互いの違いを浮き彫りにし、受け入れる

●一般的に、、、という三人称の見解ではなく、私を前面に出した一人称的な視座から、経験や思いを語る

 

そして、これらは全て対話を行うキーポイントでもある。

すなわち、組織において対話=オープンなコミュニケーションがとれてる状態とは、

自律した個人と個人の関係を保ちつつ、同時に、深い相互理解を生み出していくことである。

 

 

これは、組織を離れた学びの場でも応用可能なことばかり。

働く大人が集まる場づくり行なっている自分にとって、とても良いヒントになると感じた!

 

問題解決から問題設定へ

11日目。

 

長らく空いてしまった。。。

継続こそ力なり、の中で、内容の質より継続することを優先することが出来なかった。

 

今後の対応

◆書くことをルーティン化する、時間帯を決める。

 →仕事に向かう電車が30分あるので、そこの間で書くことにする

 

さて、本題。

今回も以下の本から学んだことの続き。

ダイアローグ 対話する組織 https://www.amazon.co.jp/dp/4478005672/ref=cm_sw_r_cp_api_CCP.yb8SNG4BW

 

●組織において、対話はどのような意味を持つか?

それについては、以下の三点が考えられる。

①強調的な問題解決が可能になる

②知識の共有が進む

③組織の変革に繋がる

 

議論型の話し合いと、対話型の話し合いは補完関係にあり、まずは、問題解決というプロセスに入る前に、適切な問題設定を行う必要がある。

この問題を定式化する、すなわち何が問題かを合意していく段階において、対話が重要視すれる。

 

また、経営学者の妹尾堅一郎氏によれば、問題解決症候群という思い込みに駆られている人は、そもそも設定された問題や選択肢は適切なのかという検討が行われない、と指摘する。

 

◆問題解決症候群

①問題は与えられるものである、と思い込んでいる

②与えられた問題には必ず唯一の正解がある、と思い込んでいる

③何が正解かは誰かが知ってるし、場合によっては教えてくれる、と思い込んでいる

 

つまり、議論型の話し合いは、唯一の正解について合意を図るプロセス

対して、対話型の話し合いは、多様なメンバーによる現在の状況における問題設定を共同で意味付けるプロセス

 

ということになる。

 

ふぅ。朝の時間では、これくらいが限界。

続きは次回へ。

 

知識の共有は本当に行われているのか?

 

 

 

コミュニケーションの本質は。

10日目。

 

なんとか、ここまで来た。

先日の研修から引き続き、コミュニケーションをネタに書いていきたい。

 

今日は、こちらの本を紹介したい。

 

『ダイアローグ 対話する組織』中原淳・長岡健著、ダイヤモンド社、2009年

 

ダイアローグ 対話する組織

ダイアローグ 対話する組織

 

 

ついつい口癖のように「対話、対話」と言っているが、その対話とは何か。

そもそも、なぜ対話が大事なのか。雑談、会話と対話の違いは何か。

これらが気になって、本著に行き当たった。

 

さて、相手に何かを伝えるとき、

例えば、学校の現場において、先生が生徒に道徳的精神を伝えるとき、

例えば、ビジネスの現場において、上司が部下に企業理念を伝えるとき、

 

「相手に伝わる」とは、何をもって達成されるだろうか?

「情報の中身が正確に相手に伝わること」だろうか?

 

この問いに対して、筆者は、以下のように書いている。

 

(以下、引用)

…価値観や信念が「伝わった」かどうかは、聞き手の共感や行動・考え方の変化を引き出したとき初めて確認できるものだからです。つまり、内容を理解し、納得し、腹落ちすること。そうした理解のプロセスを経て、行動や思考が変わること。ここまでの変化を外的に観察することができて、はじめて「伝わった」といえるのではないでしょうか。

(以上)

 

つまり、コミュニケーションの本質は、

「情報の移動」ではなく、「人間の行動や思考の変化」

ということである。

 

たしかに、先日の研修でも、こんな言葉を聞いた。

『私は大学生を対象に90分の授業をやっている。最初の5分で、学生たちのイメージする保育の仕事を絵にかいてもらった。そして80分の講義を行った。子どもの発達の話、子どもを取り巻く環境の話、親の話、社会の話…エピソードなども交えながら。そして、最後の5分に同じように保育の仕事の絵を書いてもらうと、全く異なる絵を書いていた。このように何らかのインプットやアウトプットをしたときに、相手の思考や行動が変化することが、『学ぶ』ということよ』

 

…似ている。ここで大事なのは、『教える(ティーチング)』じゃなくて、『学ぶ(ラーニング)』と言っていること。

そして、『学ぶ』には、『主体性や意欲』が含まれおり、そこには単なる情報の伝達ではなく、行動や意思の変化が伴い、双方向の刺激がある。

 

非常に興味深いテーマなので、また続きを書きたいと思います。

文明と、文化の違いって何ですか?

9日目。

 

文明と、文化の違いについて。

 

保育の研修の中で、めちゃくちゃ有名な先生が仰っていた。

 

「食」は、「文化」です。

「子育て」も、「文化」です。

 

ところで、「文明」と「文化」の違いって、分かりますか?

 

これに対する明察が、この2年半、保育園でコミュニティづくりに関わってきて、

すっと腹落ちする内容だった。

 

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少し、遠回りになるが、研修のテーマは「コミュニケーション力が育つとき」だった。(最後に、文明と文化の違いを書きます)

 

そもそも、コミュニケーション力とは…

●自分の想いを分かりやすく伝える力

●意見の違いや立場の違いの理解

●自分と周囲の人との関係性を理解できる

●思い通りにいかない事への対応する力

 

例えば、1歳児が「おもちゃを友だちと取り合いっこしていて、すぐ、どうぞうどうぞ!」って貸している姿って違和感ある。

なんでも波風を立てずに、周りとの調和ばかりに気を取られ、自分の主張を一切しない1歳児。…もはや怖い。

それは、コミュニケーション力なんだろうか?

 

●自分の想いを分かりやすく伝える力

 これは、大人、保育者の関わりが非常に重要。
 社会的参照を見逃さない事が大切。
 (大人の表情、感覚を頼りにしながら、子どもたちは感覚を学んでいくこと。例えば、道ばたのお花を見て「きれいだね〜」と感動する大人を見て、子どもは「お花ってきれい!」という感覚を手に入れていく)

 

●意見の違いや立場の違いの理解

●自分と周囲の人との関係性を理解できる

 集団の中で、どのようにしたら気持ちよく過ごせるだろうか?
 教育・保育の仕事は、初めから答えが決まっているものはなく、子どもたちと共に悩み、考え、毎回試行錯誤していくもの。教師が一律の枠や基準を与え、それに当てはまらない子に罰を与えるのは「調教師」である。これは、先生に従う事が正しいと言う権威主義的な考えを植え付けることにもなる。

 特に、「何かが出来る事」を早く求め、育て急ぐ親が多い中、保育者としての専門性は、育ちの見通しや、子どもの内なる葛藤を親に伝えていくことがプロの仕事

●思い通りにいかない事への対応する力

 アタッチメントを通して、不安な状態から、安心できる状態へ。そして、意欲や自己肯定感を育てる事が大事。

 マイナス(怖い、寂しい) → 0(安心) → プラス(うれしい、やってみたい)

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繰り返しで来てきた言葉、「育て急がない」。

翻って考えると、今の社会はどうだろうか?

大人の都合で、子どもに早く何か出来る事を迫っていないだろうか?

早く物わかりがよくなって、いい子に育て、読み書きそろばんができて、、、、、

しっかり自分の想いを表現できる、友だちとぶつかり合って葛藤できる、そんな子ども時代を保障できているだろうか?

これを再考させてもらえる研修だった。

 

最後に、

「文明」と「文化」の違いって、分かりますか?

 

 

これは、

「文明」は、手間暇を省くことを追求していきた歴史

   …すいぶん便利な世の中になった。自ら手をかける事も少なくなった。

    しかしながら、これによって人間社会は本当に豊かになったのか?

 

では、

「文化」は、手間暇をかけることで培われてきた歴史

   …日本の食文化、まさにその通り。そして、子育てだって、文化。

    楽をする事が目的ではなく、目一杯手間ひまを掛けながら、(もちろん、親だけにその役割を追わせるのではなく、社会で育てる事が前提)子どもをゆっくり、じっくり育てていく。
    その意味で、保育の仕事は、人を作り、文化と社会を作る意義深い仕事。


この「文化」という考え方。もっと深めていきたいと思っています。

「まちづくり」は「ひとづくり」。そして「ひとづくり」は文化だと思います。

子育てと政治の距離

 8日目。

 

子育てと政治の距離。

 

私は、もともと政治に近い仕事をしていたこともあって、

国会関係のニュースや政治の動向はちょっと気にしている。

 

今は、保育園で働いているので、幼児教育や保育に関係する話題(特に最近でいえば「保育園落ちた、日本死ね」以降の待機児童問題)はメディアに取り上げられることが多くなり、それ自体はいいことだと思う。ただし、不満を吐くだけでは何も変わらないとしたら、どんなアクションを取ったら良いのだろうか。

 

今日言いたいことを先に言うと、

「子育て世帯こそ、政治(特に地方政治)に関心を持つべき」

ということである。

 

 

なぜか。

それは、子育て(正確には妊娠〜)を通して、成人以降、はじめて行政サービスを受けるという認識を多くの人々は持つからである。

そして、そこに行政の作為・不作為や、政治の作為・不作為に関心を持ち、多くの場合は不満を持つ。

 

しかし多くの人は、その不満を、どのように発信したらいいのかが分からない。

「投票」という数年に一度の機会を逃したらそれ以外にアクションすることはできないのだろうか。

ましてや、国政選挙はいってるけど、自分の住む地方議会の選挙にどれくらいの人が行っているだろうか?

(ってか、そもそも誰が議員かも知らないし…状態の人も多いのでは)

 

私は、地方政治にこそ、「日常生活の問題意識」に根ざしたテーマで、主権者として関わりを持つべきだと思う。

 


そんな矢先、 共通の友人の結婚式で「原田謙介」(通称ハラケン)に出会った。

彼と、今後面白い企みを考えていくことになっているので、乞うご期待!

 

もっと子育てをしやすいまちに。

社会で、まちで子どもを育てるを文化に。

引き続き、様々なタネを蒔いていきたいと思います。

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