新・保育所保育指針は何が変わるの?
久しぶりに、固めのテーマで書いてみる。
来年度(平成30年)に施行される「新・保育所保育指針」。
改訂の背景について、最近学んだ事を触れてみる。
(そもそも保育所保育指針とは…保育所保育の基本原則である。これを基に各園は独自の理念に沿った保育を展開割いている。つまり、すべての保育所のベースとなるものである。幼稚園では幼稚園教育要領、小学校以降では学習指導要領に当たるもの)
①今回の保育指針の改訂の特徴は、
・2020年の教育改革(小学校以降の学習指導要領の改定と一体となって)の文脈で考えられたこと。これは、今まで、幼児教育の分野は切り離されていたが、時代の要請として、公教育の中で乳幼児期にスポットが当たり始めた事である。
・約10年ごとに改訂の中で、これまで以上に先行きの変化が激しい時代になることが分かっている事から、「変化」に対応する力を身につける必要がある。特に、その中で、人が生きる大事な力は、乳幼児期に育つ事が分かって来た。
・その結果、保育所としては初めて「幼児教育」を行う施設という言葉が使われるようになったこと。ただし、この幼児教育とは、単に文字・図形等の知的教育のことを差すのではなく、非認知能力などに着目したもの。
・すなわり、現場では、自らの実践が「教育」だということを示していく必要がある。どんな時代にいきる、どんな子どもたちの育ちを支えていくのか、その「意志」が求められる。
②世界的な潮流としても、
・世界各国で、21世紀バージョンの教育をつくりあげていくことが進んでいる。日本は、かつて1990年代後半に「ゆとり教育」の議論が行われたときに誤った解釈から議論が広く展開されず、遅れているのが現状。
・この動きは、20世紀初頭のワロン、ピアジェ、デューイ、モンテッソーリなどが参加した新教育運動に似ている。※子どもの自主性・主体性を徹底して重視する教育。この時代は、資本主義の進展に併せて、植民地開発を求めていた新興資本家、庶民の要請があった。
・具体的な教育の内容で言えば、例えば、歴史は年号を暗記する事よりも、時系列の中で、ものごとを考え、理解する力をつけることが大事。その学びの本質が日本では重視されてこなかった。特に、自分や他者とのコミュニケーションを学ぶ時間が極端に少なかった。自分を知り、相手を知り、社会集団で気持ちよく暮らすためにはどうしたらいいのか。
・有名なヘックマンの研究に置いても、教育のスタート期間である時期への投資効果が非常に高いこと、「非認知能力」を育てる事が大切であるという認識が広まっている。単に「やったこと」ではなく「資質・能力」をどのように育むか。
③これからの教育の中で大事にされる事は、
・コンピュータ、AIがますます進化する中、人間の身体能力、対人間関係能力、身体に根拠を置く感性等の育ちが生活の中で訓練されない社会。人間は、かつて集団で暮らしていたが、これがだんだん人とコミュニケーションを取らずとも生きていける時代になっているので、生活体験、文化体験が著しく減少している。八百屋で買い物する時代から、コンビニで何も言葉を交わさずに買い物できる時代へ。とにかく「楽」が重視され、面倒なこと、煩わしい事は避けられて来た。
・どんな文化を私たちは育んでいくのか。文化(culture)の語源は、カルティブ(土を耕す)から来ている。実りを豊かにし、手間暇をかける、苦労していいものをつくることが人の喜びである。手作りすることを小さいうちに経験したり、美しいものを感じたり、誰かに共感することは小さい時こそ大事。
・この前提として、まず自分自身が、無条件で愛されて、他者を信頼できることが乳児にとって大事。条件付きの愛ではダメ。また、集団の中で、年上、年下など幅広い年代と関わる経験が乏しく、自分と違うものを受け入れたりする事が出来なくなりやすい。
・保育実践の場面では、自分でやったことを言葉で共有する時間が大事。特に3歳以上は、自分の経験・そのときの感情を人にわかる言葉で話してみたり、因果関係(◯◯だったから××だった)や「どうやったの?」「どうしたらいい?』というやりとりを通じ、意味知を獲得する。
・こうした経験を踏まえて、人間が解決していない問題を解決する力をどう育むのか、足元の問題がグローバルな問題につながっていることを念頭に置く。
最後に… 子どもの育ちにとって、興味を持った事に「没頭する」ことが大事。保育者として、一人ひとりの個性を丁寧に把握し、没頭する時間を保障すること、その他に、どんな失敗しても叱られない(失敗=悪ではなく、失敗=学びにつながる大事な機会と捉える)、評価されない(他人と比較されない)という環境をいかに整える事が出来るか、試されている。
また、「教育と養護」が一体であり、養護(生命の保持と情緒の安定)が保たれた環境の土台の上に、幼児教育が展開される事は言うまでもない。
(参考)
http://berd.benesse.jp/up_images/magazine/KORE_2017_spring_01toku.pdf
何回か、この教育改革・指針をテーマに書いていきたい。
3歳児神話はあるのか?
子育て・保育の世界では、しばしば耳にする3歳児神話。
今回はNHKの記事に感化されて、これに触れてみる。
この3歳児神話に苦しめられているお母さんは、たくさんいるのではないか。
子どもを育てながら仕事を続ける事に後ろめたさを感じ、世間からは子どもが小さいときくらい家で育ててあげれば良いのに…と言われ、会社でも短時間勤務で早く帰る事に居づらさを感じ…。
そもそも3歳児神話はいつ生まれたのか。
NHKの記事が素晴らしすぎるので、ダイジェストで抜粋したい。
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>昭和26年報告書発表
『子どものために小さいころ(特に3歳までは)母親が育児に専念した方がよい』という説が広まるきっかけはイギリスのボウルビィという精神医学者の1951年(昭和26年)の報告書だといいます。
>新しい研究“母親の就労は影響なし”
菅原教授は3歳児神話について自らも10年以上の追跡研究を実施していました。「日本で269組の母子を12年間追跡調査した。その結果、3歳未満で母親が働いても、問題行動や母子関係の良好さに関連性は認められなかった」という研究結果をまとめています。
>影響があるのはこんなこと
ただ「その時期に“母親が育児に専念しなければいけない”は修正が必要。母親だけでなく、父親や祖父母、地域の人などさまざまなところから愛情を受け取れる」。
コミュニティコーディネーターは仕事か
珍しい名前の仕事をしている。
コミュニティコーディネーターという。
直訳すると、共同体調整者だ。ますます訳がわからないと言う人もいる。
保育園の中に、コミュニティコーディネーターという職種があるというと、どんな仕事をしてるんですかと聞かれる。
私は、決まって、こんなことを言う。
人と人をつなぐ仕事。人とまちをつなぐ仕事です、と。
その人には色々な意味が含まれていて、子どもと地域の人をつなぐこともあれば、子育てをしてる家庭同士、また職場のスタッフ同士という意味をも包摂する。
だからこそ、地域コーディネーターでなく、コミュニティコーディネーターなのだ。
求めている人と持ってる人、互いに求めてる人がいたら、そこを、いいタイミングで、無理なくつなぐことが大事だ。
時には、待つことも、待たせることもたくさんあるし、実を結ばないことの方がたくさんある。
それは闇雲に出会いを作りたいわけではなく、よい出会い、を作りたいから。
よい出会い、とは何か。
それは、
新たな刺激をもらえること、
新たな一面を引き出せること、
安心できること、
色々な要素がある。
また、どのように地域の人と出会うのか聞かれることもある。
それは、仕事とプライベートの境界を限りなく曖昧にして、ワークとライフを別物でなく一体と捉えていくことがポイントだと思っている。
ちょっと地域のイベントに参加してみる、できるな手伝ってみる、さらに企画してみる。
すると、そこで出会った地域のユニークな人たちが、保育や子育てに注目したり、興味をもって、今後の関係構築に繋がることもある。
また、保育園の仕事で出会った人、保育園に通う親子も誘って一緒に地域の活動をやってみると、これまた地域にとっては新たな参加者が増えることに繋がる。
保育園のインナーとアウターの活動の二軸を持っておくことで、シナジーを発揮しやすくなる。
その意味で、休みもなくて大変じゃないか?との声もあるが、全てがこの地域で暮らしていること、働いていることの一部であり、なにより自分自身が楽しんでいるので全く苦ではない。
先日、小泉進次郎さんが、政治家は職業じゃなくて、生き方と言っていたが、
それを模倣させてもらうと、
コミュニティコーディネーターも、生き方なのだと、現段階では仮説的に思っている。
大げさなことでなく、組織の中や外、業界の中や外、地域の中や外、世代、性別、そんな境界を曖昧にしていく役割であったり、
自分の関わる身近な人、子ども、同僚、親、地域の人たちの幸福度を上げていき、その輪を少しずつ少しずつ広げていく。
そんな生き方を、コミュニティコーディネーターと言うのかもしれない。
なぜか、今回は、思ったことをポエム風に綴ってみた。
自分にとっての「当たり前」(しかも知らずのうちに創られた)を疑うこと。それが対話の目的。
続き。
ラーニングバーの実際の話を追って見る。
前回の記事は、こちら。
◎ラーニング・バーにおける3つの精神 *茶道の精神にならって…
①準備を整えて参加者を待つ (支度)
②参加者がくつろげる空間を演出する (しつらえ)
③すべての人がルールを共有する (しかけ)
◎内容を決める3つのプロセス
①テーマの設定
…主催者自身が興味や関心を持っているかどうか
…みんなの問題であるか
②講師の選定
③良質の問いかけ:ドライビングクエスチョン(人が探求に値するような内省や思考をかきたてる問い)
…講師にも問いかけをお願いする。良質な問いかけにより、「対話」が生まれる。対話とは、それぞれ人が違うこと、違った意見を持っていることの判断を保留して、鑑賞・吟味し合う、抜き差しならない行為。「対話」なきところに「内省」は生まれない。
◎空間Designの3つの心構
①学習者を中心に組み立てられているか
*それまでに持っている知識・技能・行動スタイルを再重要視すること
②主催者がみんなで楽しんでいるか
③形成的評価を忘れない
*学びは、常に状況に埋め込まれている。
◎当日のタイムテーブルにおける注意
①開始前=BGMを流す
・音量は、最初はやや大きめに(静かだと恥ずかしがって話さないため)
②開始前=自分がロールモデルとなる
・場が始まる前は、わざと人前に出て、大きな声で挨拶をする。
・互いに知らない参加者同士をつなげる(コネクターの役割)
③開始時=ルールと枠組みを設定する
・イントロダクションで、「知の消費者」になるのではなく「場の創り手」になってほしいことを話す
・過剰な自由に投げ込まない。しっかりとしたルールと制約を話すことで、自由な対話を促すことが出来る。
・話題の「全体的な枠組み」「予備的な情報」を参加者に提示する。また、「なぜこのテーマについて学ぶのか」についても十分説明する。
④対話=脱構築を重視する。
・様々な参加者がいる中で、いきなり対話をしろと言われても、グループで話が噛み合ないことがある。コミュニケーションを図る上では、知らずのうちに所属する組織の前提の上で話をしてしまうことに気付くことがある。
・大事なことは、自分にとっての「当たり前」を疑い、その背後にあるものに気付くこと。それが対話の目的。
⑤質疑応答=やらない。取りまとめて質問する
・付箋などに記入してもらい、参加者の共通の関心について、質問をする。
(こっちの方が、多くの人の質問に答えられる)
・ポジティブな側面ではなく、ネガティブな側面に着いては、司会が質問する。
(特に、きわどい内容は、参加者には聞きづらいので)
⑥ラップアップ(まとめ)=即興性を大事にする。
・ゲストの話したこと、対話で出た話題をしっかり聞いておき、最後の時間を使ってスライドを作成する。
「自分の土俵に引きつけて、最後は自分の主観で語る」
「あえて、参加者にモヤモヤを残す(=問いかけを発して終わる)」
※今日の話を踏まえて、皆さんは今後どうしたいか。何を変えたいと思い、何を変えたくないと思うか。
⑦終了後=主催者側の振り返り
・その日のうちに、30分でも1時間でもいいから持つ。
◎場づくりを学ぶために、必要なこと
①知識(学習研究、ワークショップ、メディア)
・以下の本がオススメ
②経験
・まずは色々な場に参加してみる(面白い場には、継続して参加してみる)
・創り手に回ってみる(まずは受付からでも。徐々に、司会、企画など)
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現在進行中の、そして今後の「学び場」を創る上でヒントとなることがたくさん!
これらで得たヒントは、実践知・経験知として生かしていこう!
アンラーンについて 〜ラーナビリティが高い個人になるために〜
今日は、こちらの本を読んでみて。
ここ最近、「学びの場」を作る機会が増えていることから手に取った本。
直感的に、「学びの場」においては、内容が重要なことはもちろん、
その学びを最大限に引き出す為の場づくり(空間、時間Design)も重要だと思う。
簡単に言うと、わくわくする場をつくることだ。
そして、私に期待される役割は、内容よりも、むしろ場に誰を招いて、どんな時間を過ごしてもらって、どんな学びを持って帰ってもらうかを考えることであることが多い。
そんな実務のエキスパートになっていくためには、うってつけの本だった。
以下、概要と所感を示す。
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[概要]
・ラーニング・バーとは、大人の為の学びの場。働く大人と、組織と、学習・成長という三つの領域に関心のある人々が、それらにまつわる最先端のテーマをもとにディスカッションを行う。著者の中原淳さんは大学の講師をしながら、ラーニングプロデューサーとして、場づくりを行っている。
◎参加者に対して提供するものは、単なる<イベント>ではなく、<ラーニングエクスペリエンス(学習経験>を提供している。
◎ラーニング・バーのコンセプトは、
①聞く ②聞く ③聞く ④帰る ではなく、(一般の講演会)
①聞く ②考える ③対話する ④気付く (+⑤Barを出て語る ⑥自分もBarを作る)
◎対話のルールは、以下の4つ。
①私を主語にして語る。(私は、こう思う。私は、こう感じる)
②経験談や主観を歓迎する。(私の日常は、他人の驚き)
③人はそれぞれ違って当たり前。
④対話の中では、あえて判断を保留する。大事なことは、違いの背景にあるアサンプション(前提)に気付くこと。
◎なぜ、大人は、社外での学びの場が必要か。
・社内でも様々な学習の機会を得ることが出来るはず。それは、研修・仕事経験・人間関係、組織で働きながら「仕事の型」を獲得して、業務を回せるようになるかもしれない。
・しかし、組織に染まった人は、組織の価値観に対して揺るぎのない確信を抱く一方で、それとは違うものを知らず知らずのうちに排除したり忌避したりするようになる。
・すなわち、「仕事の型を獲得」=「変化を嫌う頑迷な個人を作った」ことと同義である場合が多い。企業の特殊な価値観や知識・技術に対する「文化的無自覚性』を既に獲得してしまっている。
◎では、どんな環境に身を置いたら良いか。
・過去に学んだことや身につけた「仕事の型」を問い直し、獲得してしまったステレオタイプを「捨てる」ことが求められる。これをアンラーンという。
・業務経験をコアにしつつも、ある経験値をアンラーンし、学習し直すことができる個人「ラーナビリティ(学習可能性)」が高い個人=「変化可能性が高い個人」が求められている。
・次のような環境における対話がその答えの1つになる
①心理的安全が確保されている場
②多様な参加者が確保されている場
③答えを押し付けられず、物事の意味や形を自らつくり出すことが求められる
④ゴールとアジェンダのある会議といった定型化されたコミュニケーションスタイルから自由になれる場
⑤時間的余裕が確保され、そのあいだに熟慮することが求められる場
⑥それゆえ、必ずしも予想できることだけが起こるわけではない場
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引き続き、「学びをほぐす」機会を充実させる為に自分自身、学んでいきたいと思います。
長くなりそうなので、続きは、別の記事で。
教育(保育)実践は、Doing & Talking で成り立つ。(白梅大学・無藤先生)
教育(保育)実践は、Doing & Talking で成り立つ。
保育や授業は実践自体とともに、それについて言葉で表現し、語り合うことから成り立つ。そのことが専門性を高めていく。不立文字ではない。自己とまた同僚と絶えず対話していくのであり、実践の身体知であると同時に、言葉に大きくよっている。
この20年、実践の身体性、環境性、暗黙性の認識とそこに関わる言葉の重要性の双方の追究が広がった。学習指導要領でも幼稚園教育要領でも保育所保育指針でも、少しずつ明記されるようになった。
ただ、保育士の場合、語り合い振り返る言葉の意義と、保育所実践における時間的保障が弱い。今の改善の大きな目標だと思う。
「なに」から始めない。「なぜ」から始める。〜ゴールデンサークル〜
今日は、隔週開催の朝活。
テーマは、学び✖️地域で、少人数でひっそり行なっている。
毎回、同じ動画を見て感じたこと気づいたことを素直に言葉にする。
今回は、こちらのサイモンシネックさんの動画が題材になった。
以下、学びを。
〇人は、WHAT(何をやるか、何を売るか等)で動かされるのではなく、
WHY(なぜそれをやるのか、なぜそれを売るのか等)に共感し、動かされる。
〇WHY(なぜ)が中心にあり、HOW(どうやって)が外側にあり、WHAT(なに)をは1番外側にある。これは、動画の具体例で登場する、アップルや、ライト兄弟や、キング牧師は、この、「なぜ」からメッセージをスタートしているから人を動かす。だからこそ、人々は共感し購入したり、飛行機を作れたり、国民的なムーブメントを起こす。
〇これは、心理学ではなく、「生物学」だと言っていた。脳の作りがそう設計されていることで、あらかじめ備わってるものだから。
◯あらゆる分野に当てはまることだと思う。マーケティング、マネジメント、特に組織を作る上でも、この、「なぜ」に共感する仲間の存在は大きいと感じた。
〇まさに、この朝活においても、わざわざ6時半に、なぜ人が集まるのか。やりたいから、アウトプットできるから、地域という学び場を得るから、斜めの関係を得るから、様々な意見はあるし、それを一人ひとりが感じているからだろう。
〇特に、日常のエピソードを、こうした動画を見てフレームワークにはめてみることで、「抽象度が上げる」ということが、しばらく大事にしたいキーワード。人に伝える、伝わるためには、抽象度を思い切り上げて俯瞰し、具体例に落とし込んでいく。
◯スピーチの内容自体も素晴らしかったが、スピーチで取り入れられていた、「伝えたいメッセージが明確で、繰り返される」「具体例が、ポジティヴ/ネガティブどちらも豊富に盛り込まれている」ことで、とても分かりやすかったなぁ。
思わずメモをしたくなったので、ブログに綴りたくなった朝。
ふたせん、ありがとう!