LIFE SHIFTのまとめ② 「自分は何を大切に生きているのか」
書いている記事が途中で消えるというショッキングな事態。。。
めげずに書きますが、少し軽めの記事になります。
ライフシフトの後編について書きます。
前回は無形資産に注目しましたが、今回はマルチステージ化する人生について。
この章に注目したい。
第6章 新しいステージ
〜若々しさを加速させる「選択肢の多様化」〜
- マルチステージの人生では、どのステージをどの順番で経験するかという選択肢が多様になる。そのため、年齢とステージが一致しないことが増えていく。例えば「大学生」という情報だけでは、年齢を推測できなくなる。あらゆる年代層が混ざり合い、協働する機会が飛躍的に増えるためだ。また、人々の若々しさをいっそう加速させていく。同時に、どの世代においても「若さと柔軟性」、「遊びと即興」、「未知の活動に対する前向きな姿勢」が重要な意味を持つことになる。
- こうした動きに伴い、次の3つのステージ「エクスプローラー(探検者)」
「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」「ポートフォリオ・ワーカー」が誕生する。
〜移行期間と社会制度の変化〜
- 今後は、ステージ間の移行回数が増えていくため、移行期間に向けた事前の準備が欠かせない。移行期間中は、主に活力資産と生産性資産への投資が行われるが、金銭的資産が減ることは避けられないからだ。
- また、こうした新たなステージが出現し、その選択肢や順序が多様化するにつれ、年齢とステージの一致を前提につくられてきた企業の人事制度や、教育や労働、結婚といった社会制度も変化を強いられることになるだろう。
3つの新しいステージ
- 1つ目は、一ヵ所に腰を落ち着けることなく、身軽に探検と旅を続け、幅広い針路を検討する「エクスプローラー(探検者)」。この時期では、多様な人たちの苦悩や喜びを自分事のように考える「るつぼの経験」が組み込まれていることが望ましい。他の人生の物語にふれることで、自分の価値観が揺さぶられ、アイデンティティについて熟考できる。
- 2つ目は、組織に属さずに、自由と柔軟性を重視して小さなビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」だ。このステージの人たちは、事業活動自体を目的としており、試行錯誤しながら未来を探索する「プロトタイピング」を通じて、学習を深めていく。このステージでは、安心して失敗できるからだ。現在の18~30歳の層にとっては一つの選択肢になりつつある。彼らは都市部にある創造性の集積地に集まって、みんなで協働する精神を重視している。
- 3つ目は、異なる種類の仕事や活動に同時並行で携わる「ポートフォリオ・ワーカー」である。他の新しいステージと同様、年齢を問わず実践できるが、この生き方をとりわけ魅力に感じるのは、すでにスキルや人的ネットワークの土台を築いている人たちだ。このステージにうまく移行するには、フルタイムの職に就いているうちに、小規模なプロジェクトで実験を始め、汎用的スキルや社外の多様なネットワークといった変身資産を育むことが望ましい。
※感想
マルチステージ化する人生は、年齢とステージが一致しない。常に学び続け、学び直していくことで変化に対して柔軟でいることができる。
あなたや、あなたの周りの人は、どんなステージを生きているだろうか?そんなことを問いながら、Beyond Laboに参加する多世代メンバーと共に学んでいけたらと願っています!
終章も書いていたのだけれど、この辺りで挫折です。
本の締めくくりにもこう記されている。
- 「私は何者か」「私はどのように生きるべきか?」という問いに答えられるのは、結局のところ本人でしかない。
国家レベルの課題に渡るものでも、行動は常に目の前の一歩から始まるということである。
LIFE SHIFTのまとめ① 「自分は何を大切に生きているのか」
さて、今回は読書録。
次回、Beyond Laboに向けて、現在、読み進めているのが、こちら『LIFE SHIFT』。
リンダ・グラットンと、経済学の権威アンドリュー・スコットによる「100年時代の人生戦略」をテーマにした本である。
ズバリ、本書の主題を一言で言ってしまえば、
- 100年以上生きる時代をどう過ごすべきか??
- どうすれば個人や家族、企業、社会全体が長寿化の恩恵に最大限浴せるか??
この2点である。そして、読み得た後に残される問いとしては、これ。
「自分は何を大切に生きているのか」
「何を人生の土台にしたいのか」
以下、概要を少しまとめながら、感想を添える。
ちょっと長くなりそうなので、2部になりそうだが。
(超・駆け足での概要)
- 長寿化の進行により、私たちは100年を生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすこととなる。新しい人生の節目と転機が出現し、「教育→仕事→引退」という人生から、「マルチステージ」の人生へと様変わりする。それに伴い、引退後の資金問題にとどまらず、スキル、健康、人間関係といった「見えない資産」をどう育んでいくかという問題に直面する。ロールモデルがほとんど存在しない中で、新しい生き方の実験が活発になることが予想され、生涯を通じて「変身」を続ける覚悟が問われる。
- 今後どんな時代が訪れ、どんな生き方を模索すればいいのか。その際、どのような有形、無形の資産が重要性を増すのか、どんな人間関係を築いていけばいいのか。企業や政府が取り組むべき課題は何か。この辺りが400ページに渡り述べられている。
※感想※
まさにBeyond Laboをやっている理由も、この「教育→仕事→引退」というステージが私たちの中で崩壊していることが目に見えているからである。
すなわち、社会人とは、「教育を通して得た知識を金銭的価値に変えながら消耗していく」のではなく、「働きながらも学び続け、常に新しい資産(これは知識だけでなく、ネットワークなども含む)を獲得しながら様々なステージの変化に対応したり、キャリアの複線化に取り組んでいく」ということが念頭に置かれている。
まさに、最初の読書会にふさわしい本じゃないか!
===============
はい、続きます。
(1章〜3章あたり)
- 約100年前の1914年に生まれた人が、100歳まで生きている確率はわずか1%だった。しかし、2107年の世界では、100歳生きることが普通の光景になっている。日本にいたっては、2007年生まれの50%は107歳まで生きると推測されている。
- 健康、栄養、医療、衛生といった多分野におけるイノベーションによって、平均寿命は大きく上昇してきた。重要なのは、健康に生きる期間が長くなるということだ。認知症の解明と対処にも、今後大きな前進があると目されており、想像以上に長く生きられる可能性が高いといってよい。
- 一方で、長寿化に伴い、老後の生活資金をどうするかという問題が差し迫ってくる。貯蓄率を高めるか、より高齢になるまで働くか、あるいはその両方の選択が必要となる。
- また、新しいテクノロジーが労働市場を激変させていくことは明らかである。産業の新陳代謝が起こり、新しい職種が既存の職種を代替する。また、ロボットやAIに、高スキル労働者が代替される一方で、新しい雇用が生まれ、経済成長を牽引するという明るい見方もある。こうした変化の中で重要なのは、人々が精力的かつ創造的に生きるための新しい人生のシナリオを考えていくことだ。
※感想※
この辺りは、エビデンスに基づいた人口動態、技術革新について丁寧にまとめてある印象。
それにしても、本当に100歳まで生きるって、なんだか信じられないが、目の前の子どもたちにとっては、それが当たり前の世の中になるんだなぁ。
===============
そして、一つ目の大きなヤマ場が、この次。じゃあ、この100年時代・時代に必要な無形資産って何よ?って話。筆者は、長寿化の観点から重要とされる「見えない資産」は、生産性資産、活力資産、変身資産の3つに分類している。
(第4章)
見えない資産① 「生産性資産」
- 生産性資産とは、生産性や所得、キャリアの見通しを向上させるのに役立つ資産を指す。ただし、キャリアの初期に身につけた専門技能を頼りに、長い勤労人生を生き抜くことは難しい。そのため、生涯を通じて、複数の新しいスキルと専門技能を獲得し続けることが重要になる。
- 身につけておきたいスキルや知識は、経済的な価値を生み出せて、しかも希少性があり模倣困難なもの。具体的には、「イノベーションを生む力・創造性」、「意思決定やチームのモチベーション向上といった、人間ならではのスキルと共感能力」、そして「思考の柔軟性や敏捷性といった、汎用スキル」を育むことである。
- また、仲間の存在も生産性資産の一端を担う。高い信頼性を持つ職業上のネットワークは、互いの成長やイノベーションの促進に大いに役立つ。また、時としてコーチや支援者となってくれたり、必要な人脈を紹介したりしてくれる。(こうした存在を、グラットンは「ポッセ」と呼ぶ。)
- 評判も生産性向上に寄与してくれる。良い評判を得ていれば、高い能力があるのではないかと期待されやすく、守備範囲を広げやすい。ただ、評判の獲得には時間を費やさなければならない一方で、自ら評判を完全にコントロールすることは不可能に近い。今後は、ソーシャルメディアにより評判を左右する情報がますます拡散されやすくなるため、幅広い範囲で自分の評判を管理することが求められるだろう。
見えない資産② 「活力資産」
- 活力資産とは、人に幸福感をもたらし、やる気をかき立てる資産を指す。具体的には、肉体的・精神的健康や、友人や家族との良好な関係などである。
- まず、健康は長寿化時代において価値を増す一方だ。とりわけ、明晰で健康な脳を保つことは大きな意味を持つ。最近の研究によると、加齢により脳の機能が衰えるのを避けられないという常識が変わりつつあり、脳をくり返し使用すれば、機能を高めたりダメージからの回復を促したりすることもできるという。
- また、活力の対局なる「ストレス」を引き起こす要因をうまく管理することも大事だ。中でも、職場と家庭のバランスをとり、両者での前向きな感情が伝播し合う効果は見逃せない。
- そのほか、活力資産の形成に役立つのは、長い年月をかけて築かれ、深く結びついた親しい友人たちとの関係である。(これをグラットンは「自己再生のコミュニティ」と呼ぶ)
見えない資産③ 「変身資産」
- 変身資産とは、人生の途中で変化と新しいステージへの移行を成功させる意思と能力のことである。移行につきものの不確実性への対処能力を促す要素ともいえる。具体的には、次の3つの要素が必要となる。
- 「自分について良く知っていること」である。自分の過去、現在、未来について内省し続けることで、変化を経験しながらもアイデンティティと自分らしさを保ちやすくなる。(アンソニー・ギデンズ「再帰的プロジェクト」)
- 「多様性に富んだ人的ネットワークを持っていること」だ。昔からのネットワークは同質性が高いため、変化を促すよりも、同質であることを後押しする傾向が強い。そのため、新しい視点を得て、変身を遂げていくには、大規模で多様性に富んだネットワークに接することが欠かせない。(これは、ポッソや自己再生のコミュニティとは異なる)
- 「新しい経験に対して開かれた姿勢を持っていること」である。変身の過程で既存の行動パターンが脅かされるときに、新しいやり方を実験し、受容する姿勢を持つのだ。すると、新しい生き方を探索し、適応することができるようになる。そこでは、型にはまった行動を打破する「ルーチン・バスティング」が必要となる。
※感想※
難しい言葉がたくさん登場するが、ここはきっと多くの人が納得する箇所ではないだろうか。
要するには、「①市場で稼げるスキルを身につけつつ、その切磋琢磨できる仲間を得て、評判を高めること」「②心身の健康にケアをして、家庭が自らの拠り所ともなるようにストレスを管理し、友人などの付き合いを大切にすること」「③内省を繰り返し軸を形成しながらも、新しい価値観と出会える多様性のネットワークの中に身を置くこと」この3点を大事にしていきましょうって感じですかね。
特に、Beyond Laboという場は、③の価値観を思い切り発揮していくような場にしていきたい。
=============
さて、ここまでは原則的な話が中心となったが、
具体的にライフステージはどのように変わっていくのか。
これが後半では語られていくことになるのだが、それはまた次回。
この本、面白い!!!!さすが25万部のベストセラー!!!
日本がレッジョエミリアから学ぶことは何か 〜市民を育てる、とは〜
今日は、東京大大学との協定を記念してのシンポジウム。
ゲストには、イタリアのレッジョエミリア市から、現在ドキュメンテーションセンター長として敏腕をふるっている、マリーナカスタネッティ氏が来日。
さて、幼児教育の分野ではすっかり有名になった「レッジョ・エミリア」だが、そもそもどんな点で注目されているのか?
…1991年のアメリカ「Newsweek」誌に「世界で最も優れた乳幼児境域が行われている学校」としてレッジョ市のディアーナ幼児学校が紹介されたことが一つのきっかけとなり、先進的な乳幼児教育として世界的な注目を受けるようになった。
最近は、ネットメディアにもちょくちょく登場している。
ただし、断片的にレッジョのアプローチを切り取ったりすることはあっても、その教育哲学にどこまで本質的に踏み込んでいるかといった点については、今回のシンポジウムが非常に分かりやすかった。
●レッジョの教育哲学
今回は、レッジョの歴史的な経緯から、紐解いて行くことになったが、特に面白かったのは、レッジョの教育哲学に通底している、以下のキーワード。
・こどもの権利
…子どもを未成熟な存在としてでなく、可能性・有能性に満ちた存在であること。既に市民として尊重される、社会の中の主人公として、政治的な存在であること。
・シティズンシップ
…市民参加で学校やまちづくりを進めていくこと。後で詳しく。
・デモクラシー
…答えのない問いにどう向き合うか。それこそ教育の本質であり、何か正解のあるものを教師が教えていくことではない。
これ、なかなか幼児教育のシンポジウムに参加して出てくる言葉じゃない。
保育や教育のハウツーではなく、レッジョが、コミュニティとして何を重要視して保育・教育しているかということがよく分かる。
・レッジョエミリア教育の礎を築いた人物として、ローリス・マラッグツィ氏がいるが、その人の言葉にも象徴的に現れている。
「幼児学校は、子どもたちが市民として認められるための場所である」
つまり社会の中で、子どもたちは主人公であり、同時に政治的な主体である。
これは歴史的な背景にも起因する。
かつてレッジョを含むイタリアの都市は世界大戦中に、ファシズムの勢力に支配されていた。
敗戦国となり、この街をどのように再建していくか、ちょうど同時期に「女性の参政権」が認められたこともあり、こどもの存在・権利に光が当てられた。
まさに、その頃は、市民が自らの手で瓦礫をかき分け、レンガを積み上げて学校を作ったり、市民参加で学校が作られていったと言える。
だからこそ、レッジョエミリアの特徴の一つが、
「参加」=participant という概念だとカスタネッティ氏も述べていた。
子ども、保護者、スタッフ(教師だけでなく給食や用務員などすべて含む)、地域住民など、コミュニティの成員が、学校という場を通じて、人づくり・まちづくりに参加していくきっかけを得ることができる。
●教師の役割
・子ども観(Image of the Child)の豊かさ
子どもの権利でもある、存在自体の価値、可能性・有能性について、どう捉えられるか。また、その能力が最大限に引き出せるための環境をどのように設定できるか。
・言葉、ビジュアルで学びを伝え、振り返ること
子どもとはどんな存在か、そして今学びを得ているかということを言葉だけでなくビジュアルでも伝えてく、社会に発信してく。
これによって、教師同士での振り返りや、子どもたちの活動の振り返り、そして親を巻き込む対話のきっかけ、地域社会へ子どもの存在を知らしめるツールになる。
話はかなり深い方向に及んだが、最後に残された言葉が印象的だったので、それで締めくくる。
・「すべて問題である」と捉えない。「新しい戦略を立てるチャンス」と捉える。
つまりは、教師の子どもの見方、親の見方、社会の見方が教育の質を左右するということ。これは、ついつい型に当てはめてみてしまう、そんな性質を持ってしまうことに対する警鐘なのかもしれない。
続きがもう少しあるけれど、それはまた後日
Beyond Lab #2 の振り返り
昨日は、ふたせんさんと一緒に企画している
Beyond laboの第2回。興奮溢れる学びの場について振り返りたいと思う。
(Beyond アクションにも宣言しているし。)
ふたせんさんの流れるようなオープニング。色々準備を進めてくれて、ありがとうございます!
そして、今回のゲスト=Beyonder(何かを超えている人)は、三原菜央さん。
ちょっと紹介。
●ミハラボ(ブログ)
●三原さんが運営する「先生の学校」
特に、印象に残ったことを以下にまとめていきたい。
●三原さんという人の魅力。アクションとリフレクション。
三原さんの話は、多くの参加者の心に刺さった。なぜか。
これまでの失敗・挫折を含めて、聞き手の心にすっと近寄ってきて、それでいて、どうやって自分はBEYONDしてきたかを見せるような惹きつけられる話だった。
・かつて働いていた保育士の養成校で、「どこの一般企業がオススメですか」と言われて全く答えられらなかった経験から、一歩社会に飛び出してみようと思ったこと。
・就職した会社では、1年と持たず転職したりと、なかなか定着できなかったこと。
・先生の学校を立ち上げる時もクラウドファンディングで賛同を集めることができずに資金集めに苦労したこと。
色々な失敗があったことを、しっかり見つめ直し、振り返り、その後の行動につなげていることを話の節々に感じた。
まさに
三原さんは「まず、やってみる ことを大事にしている」と言っていたが、同時に、「やってみて、どうだったか?なぜうまくいかなかったのか(いったのか)?」を徹底的に振り返る生き方をしている。
これが積もり積もって、今の三原さんを作り上げていると納得した。
●あなたは、どうしたいの? という意志に対する問い
三原さんは現在、サラリーマンとして広報の仕事で働きつつ、フリーランスをやりつつ、先生の学校という場を運営する三本の柱で生きている。
先生をやっていた時とは違う、これまた現職のサラリーマンで得ている経験が、
何か仕事の相談をするる時に、繰り返し上司から
「三原はどうしたいの?」と問われるらしい。
これって、すごいことだ。
仕事においては、組織においては、本来「組織からの命令があって、組織がどうしたいかが優先されるから、個人の人格は消されることが大抵である」と思う。
ここでは、この会社(有名なR社ですね)が凄いってのもそうなんだけど、
「どうしたい?」って問いに真正面に向き合える大人でありたい。と思った。
その後の三原さんとの対話で、フィンランド教育の話にもなったんだけど、フィンランドでは、学校でも家庭でも、子どもたちに「あなたはどうしたい?」って問いかけるケースが多いらしい。
これって日本だとあまり考えられない・・・(大人や社会の規範・価値観が先にあって、「こうしなさい」「これはしちゃだめ」とか一方的に言いつける)
それが染み付いて育った私たちは、大人になっても、自分の意志よりも「組織の論理」や「社会の常識・規範(と勝手に思い込んでいること)」を盾にして、考えること・動くことを放棄していないだろうか。
まさに、これを問いかけるキッカケが、Beyond laboの場の価値でもあると思っているんだけど。
●自らの限界が、自らで決めているという現実
三原さんの話の中で特に共感が多かったのが「ノミの話」
ノミは、本来、自分の身長の150倍の高さの跳躍力があるらしいのです。
(ちなみに、人間で言うと、170CMの人が東京都庁くらいまで飛べるって計算)
それだけでも十分に驚きなのですが、
そのノミにガラスのコップを被せておくと、どうなるでしょう。
しばらくノミは天井にぶつかるようにジャンプを繰り返すが・・・
コップを外すと、その高さまでにしかジャンプができなくなるそうです。
心理的な恐怖、限界は、もしかしたら自分で決めているかもしれません。
逆に言えば、そこから一歩踏み出したノミ、すなわち見えない殻・天井を破ったら、そこは一気に成長のチャンスにも繋がるかもしれないとのこと。
ちょっと前に話題になったが、陸上界では100M走に「10秒の壁」という言葉がある。長いこと大きな壁であった10秒が破られてた今、おそらく2018年は、9秒台を出す選手がかなり出てくるのではないだろうか。
(もっと書きたかったこと)
●ビヨンドする上で大事な、3つの変化 「 時間配分」、「住む場所」、「会う人」
を変えてみることの重要さ。三原さんの尊敬している大前研一さんの言葉だ。
これは、自分が転職した時にもすごく実感したことだ。
3年半前に公務員を辞めてから、仕事/暮らし/学びに当てる時間配分は大きく変わったし、住む場所も、そこで出会う人たち(まさに、ふたせんさんも)も全て変化している。今後も、常に変化を恐れずに動き続けていくために、色々な人に会いたいと思うし、その時間を捻出していけるように意識していきたい。
フィンランドは、公共の施設(例えば図書館)を市民でシェアしているという意識があって、公共は行政が担うものというより、一人一人市民が参加して作り上げているものだという意識が強いようだ。
それは教育の現場にも表れているようなので、もう少し、ここの点を掘り下げて学んで来たいと思う。まさに、今年の学びのテーマでもある「シティズンシップ」にも繋がるはず!
今回、Beyond laboには、先生、保育士、ママ、政治家、複業家、コンサルタントなど・・・様々な属性の方が混じりあっていたのが、さらに場を豊かにしていた。次回以降、もっともっと多様性に満ちて、インプットから広がる対話が深くなって行くように企画をしていきたいと思う。
三原さん、お忙しい中、ありがとうございました!!!
そして、参加してくれた皆さん、そして会場を提供してくれてスタートアップカフェさん、いつもありがとうございます!
次回は、3月3日(土)8時〜9時半で読書会をやります!
ゲストは招かず、まさに本から学んでいくこと、対話していくことにチャレンジしたいと思いますので、どうぞご参加ください!
リノベーションまちづくり入門
リノベーションまちづくり、とは何か。
恥ずかしながら、この本を読むまで、
まちづくりの一環で「空き家とかを改修するやつでしょ?」と思っていた。
今回は、この本の備忘録を書いてみたいと思う。
ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり
- 作者: 嶋田洋平
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
違ったのだ。。。
リノベーション(RE-innovation)とは、
新たな価値やアイディアを想像し直すこと
だったのだ。
似たような言葉としてリフォームがあるが、それは、形を作り直す事をさす。
そして、そのためには、
「普通のやり方をちょっと変えてみる」「考え方/見方を変えてみる」ことから始まるのだ。別の言い方をすれば、
「今あるものをどう使うか」
リノベーションまちづくりも、欲しい暮らしを自分でつくるためにも、
ないものねだり ではなく あるもの活かし
が大事だって事だ。生き方そのものの話をしているようにも聞こえる。
この生き方を貫く島田さん。以下、本に記述されていたエッセンスで、
特に感銘を受けた事を以下に残す。
=======================
◯リノベーションまちづくりの本質
ぼくらのまちを、ぼくらのために、ぼくらの手で楽しくする。
共感できる仲間とつながって、ぼくが ぼくらになったとき、まちは変わる。
=当事者意識と責任感を養うこと
◯まちを愛しているからこそ、まちにツッコミを入れる。まちを見る目線を養う。
紫波町の岡崎さん曰く「すべての建物は公共財」「空き家は公然わいせつ」
建物や土地がうまく使われる事によってエリアの価値が変わるのだから、全ての不動産オーナーは公共的な責任を持っている。
◯暮らし全体をリノベーションでつくる
暮らしとは、住まいのことだけでなく、「住むこと」と「働くこと」がシームレスにつながっているはず。働き方だって、フルタイムか、専業主婦のような形だけでなく、グラデーションがあっていい。
◯子どもたちのために、愛せるまちをつくる
まちの未来は、子どもたちの中に「まちに愛着を持つか」とか「自分で育ったまち」といった感性を育めるかで決まってくる。
◯大事なのは、建物半分、できごと半分。
建てれば良い時代は終わった。モノをDesignすればいいだけの時代は終わった。
それより重要な事は、コトを起こしながら共感できる人たちを巻き込み、建物を取り巻く良い経験を生み出していく事。
◯リスクをとって、同じ方向を向く、プロセスをデザインすること。
誰かが動いてくれるのを待つのではなく、自ら動く。そして多くの人を巻き込む。
「一緒に」やってくれる仲間が増えてくれば、自分たちのまちへと変わっていく。
==================
CC会での対話を踏まえて
まちの保育園・こども園では、各園にコミュニティコーディネーター(CC)が1人ずつ配置されている。
一ヶ月に一度、そのメンバーが集合して、近況の報告、対話を行うのがCC会だ。
CC同士での対話はいつも面白く、
一人一人、個性は違えど、共通している点があることが分かって来た。
これまで、私は、CCを一言で言うと、
人と人をつなぐ、子ども(保育園)とまちをつなぐ
存在と捉えて来た。
これに加えて、今回得た学びはこれだ。
人を活かし、人に活かされる存在であれ
どんな流れで得たかと言うと…
今回のテーマは「CCは、どのように教育・保育に生きているか?」であった。
それは、地域の資源を保育に活かす事で園内では出会えない人にあえたり、経験をできたりするという直接的なものにとどまらず、間接的な影響もたくさんあるのではないかという話になった。
一例をあげれば、
・子どもだけでなく、大人(親、地域の人)にも活躍の出番をつくり、生き生きと暮らせる文化を育み、その背中を見て、子どもたちが地域、社会に希望を持つ。
・事務用務、困りごとを解消することで、保育士が本来業務(こども一人ひとりの育ちを丁寧に汲み取り、仲間と対話し、環境設定など)である保育に集中する事が出来る。
やはり、園内で子どもたちのことを一番理解しているのは担任の先生である。これは間違いない。
その先生が保育を通して実現したいこと、しかし自分だけのキャパシティではなできないときに、すすっと横から出ていって、時に業務のアシストをしたり、環境に手を加えたり、素材を揃えたり、地域の人をお呼びしたり、一緒に地域に出かけていったり、、、どんどん豊かにすることができる。
CCという、ファンクションを活用する事で、その幅を大いに広げることができる。
なにも、CCが全てを企画して、保育という日常の営みの上に、突発的に落としていく事は不自然だ。
むしろ、CC自身が、保育者にどう活かしてもらうか。こういうコンテンツを持っていて、こういう人と知り合いで…という情報を常に開示しておくことで、その利用価値を伝えておく。
その上で、活かしてもらう。こうなれば、保育・教育に活きるCCになるだろうなっと思ったのである。
素晴らしい学びでした!
Beyond Lab #1 の振り返り
昨日は、いつも朝活仲間のふたせんさんと、温めていた学びの場をスタートした。
なによりスタートを切れたことの喜びは大きいものであるが、記憶の新しいうちに、心に残った事と、場の設計について振り返っておきたい。
※今回の場を「Beyond」と銘打った経緯は、ふたせんさんが書いて下さっている。
備忘録として、自分の学びを以下に記す。
①とにかく動く。動きながら考える。
〜失敗を恐れない、むしろ失敗の数ほど成長があると言う姿勢〜
税所さんの話を聞いて、自分が一番刺さったこと。それは、考える事も大切だが、考えているだけでは、誰にも何も伝わらないし、それでは失敗を経験する事もできない、すなわち成長の機会を逸しているということに繋がる。
「動く」=自ら学ぶ、人に会いにいく、やりたいことは一人でもやる、1人で出来ないなら仲間を集める。
「動きながら考える」=なぜ自分はそれを学びたいか、会いたいのか。そして、現実の壁にぶつかったときに、なぜできないのか、どうやったらできるのかを考える。
印象的だったのは、「バングラデシュでのプロジェクトを持続可能な形にするため、現地での人材をどのように得たか」という問いに対して、とにかく人と会った。ダッカ大学の学生と100人会って、その中で、一番事業に共感し、持続できると思える人を選んだと言っていた。やはり、出会いは運だけでなく、そこにもがき続けた足跡があるんだ。
会が終わってから早速読んだ著書の中にも、「失敗」の捉え方についてこんなフレーズがあった。※共著の中竹さんの箇所。
×失敗は恥ずかしい ⇒ ◯失敗を恐れて挑戦しない事が恥ずかしい
×失敗とは、成功しない事である ⇒ ◯失敗とは、成功を目的化することである
×失敗とは、成功しない事である ⇒ ◯失敗を失敗と認めない事が最大の失敗だ
×失敗したら、ゲームオーバー ⇒ ◯失敗は、もう一度始めるチャンス
②教育・子育ての深いところについて、共に考えられる場(しかもそれが地域の中で)って価値だ!
今回の参加者は、教師をしている人+子育てをしている人の割合が半々くらいだった。
いわゆる学校の中では、どうしても教師と親という関係は適度(過度?)な緊張関係があって、同じ目線で子どものことを語ることが難しいのは構造上致し方ないのかなと。
そして、親同士であっても、「受験どうする?」とか、「習い事どうする?」とかいう超目の前にある現実的な話や、実利的な話は情報交換をするかもしれないけれど、「これからの子どもたちにとって必要な資質や学びってどうだろうね? 人として幸せになって欲しいと願っているけれど、そのためにどのようなマインドセットが必要で、一番身近な大人である親、そして教師はどうあるべきだろうか」って話をなかなかする機会はないと思う。
今回は、子連れで来てくれた親子、そして妊娠中の先生も参加をしてくれた。子どもができる前と出来た後で、こんなにも人って変わるんだと言うくらい価値観がガラリと変わった。特に、家で1人で子育てをしている状態の「自己有用感・自己肯定感の欠如」を話していたのが印象的だった。これまでにモチベーション高く、自ら研修や研究に参加していた人だからこそ、余計に、その社会と断絶していることの苦しさが大きいとのことだった。
子どもが生まれたら、研修などには参加しずらくなって、だんだん足が遠のいていく…それってとても勿体ない事じゃないか!!!そんな時にこそ、こうした地域でフラット参加できる学びの場をきっかけに学ぶ事の楽しさを再認識し、新たなスタートラインに立てるきっかけになればと願う。
③ナナメの関係をたくさん作る 〜多様性の確保〜
これは、参加者の属性の大切さについて。学びを得る上でも、暮らし方、働き方がイロイロな人がいるほうが出てくる視点も面白い。
Beyond Laboでは、「教育」という狭い世界だけに閉じるのでなく、社会に開かれた学びの場を創りたいという狙いがあって、業界の壁をbeyondするというのが大きなテーマの一つ。
だからこそ、場のお約束として、「チガイ」を楽しむという視点を入れている。
今回も、リノベーションのお仕事をされている方との対話の中で、「お金を生み出す仕組みについて学べること」「自分の幸せを自分で選んで決められること」こうしたことを子どもたちに伝えていきたいと話が出た。これは教師だけの視点では出てこなかった意見だろうし、全てを学校という現場に任せるのではなく、家庭・社会のなかでも、こうした経験ができる場を用意していくことが必要だという意見でもあった。
誰しも子どもたちには幸せになって欲しいと願う。ただ、そのためには、その子自身が何を幸せと考えるか、そのためにどう考え、行動するのかという点に尽きるし、大人はそのサポートはできても、人生を変わることはできない。
こうした多様性をもった場で対話をしていると、様々な角度からの意見・感想があることに気づき、自分自身を俯瞰し客観的に捉えるキッカケになったり、目の前の子どもたちの事も少し引いてみる事ができるようになるのではないだろうか。
最後に、1人のお母さんの感想と、それを受けた別の方のbeyondアクションが印象的だったので、それで締めくくる。
「日本って、子どものことを人前で褒めたりしないよね」
「これからは、我が子の自慢を積極的にしたいと思う」
友だちや仲間と集まって、家族の自慢って、なかなか聞かない。むしろ不満や愚痴の方が多い気がする。もちろん、思ってもないことを褒めたりすることは逆効果かもしれないけど、自分が、夫・妻や、子どもの素敵だと思う点を素直に話せる場って、(人間関係のややこしさもあるだろうが)貴重なんだろうな。
==============
また、内容とは別に、
場の運営に関して、以下の点を今後検討していきたい。
①90分という限られた時間の使い方。 〜あくまで対話メインで〜
税所さんの話を20分少しでしてもらうには、その壮絶な体験記を語ってもらうには時間が全然足りず、本当は1時間は話してもらいたかった。
しかし、あくまで主眼を置いているのは、Beyonderの話を受けて、私たちがどうあるか(どう動くか)という点。つまり、自分は何に感銘を受けて、自分の人生・暮らし・働き方と照らし合わせたときに、どう目標設定し、1歩動き出すか。
この点、Beyonderの背景を深く理解しておくには、事前に本を読んだり、記事を読んだりすることで予めフォローできる。(ただし、同時にふらっと来れる学びの場であることも重要であるから、これを必須にしたりすることはしたくない。あくまで隙間時間にちょっと目を通しておけたらレベル)
[参考]今回の時間配分
①15分…オープニング
②10分…チェックイン
③25分…インプットトーク
④10分…質問
⑤20分…対話
⑥10分…クロージング(振り返り)
⇒重視していきたいのは、⑤・⑥。冒頭の時間を初回のため多く取ってしまったが、次回以降はやや圧縮する等、検討していきたい。
②互いの学びのシェアの方法。
これは今後工夫していきたい。同じインプットを聞いても、何が印象に残り、どう自分の人生・暮らし・仕事に生かしていくかは全く異なる。それこそが、1人で本を読んでいるだけと違う部分で、こうして場に集う価値だと思う。
その学びを、一人ひとりで掘り下げる時間と、少人数でシェアする時間を持ってもいいと感じた。特に、感想ですらも、人の影響を大きく受けやすいので、まず最初に1人で少し考えるってところがポイントかなと。
例えば、話を聞きながら、「印象に残った部分」と「質問」をそれぞれ付箋に書いていく(色を分けて)。話が終わったら、その印象に残った箇所と、質問(モヤモヤしたところ)をそれぞれ見えるように貼る事で、実現できそうな気がする。検討したい。
③Beyonderの声かけ、Beyonderへのお礼
Beyond laboは、スピーカーを講師として捉えるのではなく、beyonder=「越えている人」としてお呼びしている。自分自身や、過去・現在、常識・価値観、狭い人間関係をぶちやぶってくれるインプットを期待している部分はあるが、あくまで互いに学び合うという対等な目線、双方向の関係づくりを大切にしたい。
だからというわけではないが、謝礼がほとんどない。(参加費を抑えてフラッと来れる場でもありたいので、謝礼が出せない、と言ってもいい)
それでも、こういう学びの場を面白がってくれる方を探している。今回の税所さんは、お誘いに二つ返事でOKしてくれたが、なかなかレアなケースかもしれない。
今回、税所さんの話でも、「a.自分の話したい話をさせてもらえる場」「b.一方的に喋るだけでなく、その後に対話の時間を持てる場」に価値を感じてくれていたようだ。…おまけとして、著書の手売りができる笑
特に、aに関しては、本や記事は、過去の一定の成果に対して書き留めているので、現在進行形のプロジェクトや、その過程でどのような失敗や経験をしているのか、課題を感じているのかを話してもらう事ができる。今回は、自分がこれから子育てを迎える中で、男性の働き方・育児休暇等についても関心があるということだった。全部を話題にすることはできなかったが、こうした著書の聞きたい話題に焦点を充てるのも、斬新な切り口になるうると思う。
追記。地域の学び場を作る視点から、できれば映像配信も行いたい。
===========
長くなったので、以上で。